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天皇・都に注目したもの

京都も東京も帝都だが、本来首都は京都であり、東京は施政の便宜上天皇がいる場所だというもの。
東西の帝都である東京と京都が並立して首都とするもの。
江戸時代の首都は将軍の任命が行なわれた京都であり、幕府があった鎌倉・江戸は首都ではなかったとするもの。
首都移転は皇室の座所の移動(御動座)を伴うものだとするもの(1996年の橋本龍太郎内閣総理大臣の国会答弁)。

平氏政権による福原京の計画が平安京との複都構想だったとし、また鎌倉幕府の置かれた鎌倉が、京都と首都機能を分担した事実上の複都制であるとするもの。
江戸は政府の所在地で首都と意識されていたが、幕末に政治の中心となった京都が首都となり、更にそれが東京に移ったとするもの。
江戸時代に江戸は政治・行政の中心と認識され、首都として機能もし、外国人も江戸を首都と認識していたとするもの。1719年の朝鮮通信使申維翰の『海遊録』によれば、都(首都)は初め大和にあり、その後豊臣秀吉が大坂に、徳川家康が江戸に移したと認識されていたという。
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2009年(平成21年)現在、日本の首都を直接定める現行法令は存在しない。そこで、旧法、現行法及び慣習法の読み方によって、東京(東京都)を唯一の首都と解さない論者もいる。論争に登場する主要な立法およびその解釈について列記する。

1868年(明治元年)、天皇が京都から東京へ行幸するに際して発せられた江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書には、「首都」の語はない。首都を意味する「京」を地名に付したことから、この詔書によって、東京を首都に定めたと見るのが有力だが、反論もある。この詔書の趣旨について、東京を京都と並び首都とすること(複都論)を定めたに過ぎないと解する立場がある。

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2009年11月26日 00:55に投稿されたエントリーのページです。

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